僕らのミライへ逆回転

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あらすじ:さびれた町パセーイクのビデオ屋店員ジェリーとその悪友マイク。ある日マイクが発電所の電気を浴びて磁気人間になり、店のビデオテープがすべて消去されてしまう。折も折、常連のおばちゃんが『ゴースト・バスターズ』をリクエストしに来た。恥を忍んで競合店に行くも、既にビデオなんてDVDに切り替わってる。困った二人が思いついたのは、カメラ片手に自分たちでそれを再現することだった……


まートレーラー見りゃ大体分かるってのはその通りで、DIYリメイクが人気を博す→町の住人も巻き込んでいろいろリメイクする→「ハリウッドのものですが」っていう。しかしトレーラーでは分からないものもあるので、二重ハイフンを四つ並べてネタバレ回避。

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秘密機関長の手記(ヴァルター・シェレンベルク)

秘密機関長の手記 (1960年)

秘密機関長の手記 (1960年)

ナチスドイツ親衛隊少将にして国家保安本部第六局(国外諜報担当)の長を務めた、ヴァルター・シェレンベルクの回想記。
復刊ドットコムで何票か得ているが、訳者あとがきによれば全訳でなく「第一に防諜および諜報関係の純技術的問題を取扱った三章と、オットー・シュトラッサー暗殺の指名に関する章、外務省と諜報機関との勢力争いを述べた章の合計五章(中略)技術的問題や政治上の末節に属することなどを叙した箇所(中略)シェレンベルクが人から与えられた賞賛を書いている箇所」を省略しているそうだ。それらも全部訳してこそであろう、再びどこかから出版されるとしたら、そのときはぜひ全てを読んでみたい。


本書は著者が学費を得るためナチス党に入った学生時代から、手がけた和平工作がことごとく失敗し第二次世界大戦終結するまでの十何年かを振り返るもので、国家保安本部の一員として対外活動に精を出していた時代とその内容に多くページが割かれている。トハチェフスキー失脚やヘス事件など、数々のイベントに対する当事者としての記述が非常に興味深い。
また彼は自身エージェントとしてスペインやベルギーを飛び回った過去を持ち、そこでの活動や国内での防諜活動、特にポーランドユーゴスラビアなどの社交スパイのいぶり出しなどにも主体的に関わってきたこと、そしてその内容が克明に記されている。それらのなかで特に印象深いのは、国防軍の反政府派と偽りイギリス側と接触するくだり、またリッベントロップの命を受けウィンザー公(退位したエドワード八世)の誘拐計画を進めるくだりだろう。特に前者、演じている役に引きずられヒトラー退陣をうっすら考えるようになるところはかなり面白い。おそらくその経験があったからこそ、大戦末期に和平工作をしたりユダヤ人達を秘密裏に解放したりしたのだろう(連合国へのポイント稼ぎと見てもいいが)。
また多くの幕僚たちの性格や彼ら同士の足の引っ張り合いも関係者視点で記されている――ラインハルト・ハイドリヒに何度となくハメられかけたこと、リッベントロップがどうしようもなかったので代わりにパーペンを外務大臣にしようとヒムラーに掛け合ったこと、カルテンブルナーやミュラーのすごい田舎者ぶり、ボルマンとハイドリヒとヒムラーの権力闘争、などなど――。特に上官であるハイドリヒやヒムラーについて詳しく述べられていて、ヒムラーに和平を計画するよう進言するところは非常にドラマチックである。

「今までのところは君はその<もう一つの解決>と問題をどのようにしてルートに乗せるかという方法とを説明するだけで満足していたが、そのような種類の妥協がなりたち得る具体的な基盤についても少し話しあってみたらどうかね?」
用心深く私は反撃した。
「まさにそれこそ、閣下が抽斗の中にしまっていらっしゃるはずのものです」

この後3ページに渡り、著者とヒムラーという二人の策謀家がここはどうしよう、そこはああしてやろうと意見を交わす。その後彼は「最小限の領土を手放すことでドイツを現在の状況から救い出す」ことに努力を費やすことになったと述懐しているが、それがほぼ無駄だったことは皆の知るところだ。彼は当時を振り返ってさらにこう語る。

このプランの成功を信じていたとは、私も理想主義者であったし、またその理想主義を捨てきれなかったものだ。悲しいかな私は、時には希望の光明がわずかに差して来るにはしても、長い幻滅の道を歩むことになったのである。
時々私は、自分がどのようにも事態を動かすことができるように思った。しかし結局私は、歴史の巨大な機械のなかの取るに足りぬ歯車にすぎぬことを悟った。実際自分の軌道を回転する以外にいったい何ができたであろうか?

万能感と、それに続く無力さの実感。よく言われるところの「自分はただ命令されたことをやっただけである」とは少しニュアンスが異なるものがそこにあって、改めて第二次世界大戦という状況の巨大さを思い知る。

そしてドイツ降伏の二日後、画策していたスウェーデン側からの交渉も必要とされなくなり、著者の第二次世界大戦は終わりを告げる。最後の一行は簡潔だが、その分彼の感じたであろう無力さや寂しさがこちらに伝わってくる。

もはや何人も私の力を必要としていなかったのであった。


訳者が指摘するような欠点は確かに存在する。いわゆる戦争犯罪とは背を向けるスタンス、それと同時に自分を必要以上に飾る点などが結構見受けられる。しかし一幕僚の覚えたものすごい無力感がきちんと記されている点、そこに少なからず書籍として魅力を感じた。
ジャック・ヒギンズや佐藤大輔の著作で好意的な記述を受けている著者だが、実際はどのような人物だったのか。自身の書いたもので虚偽や虚飾の存在する可能性もあるが、なんとなくはつかめたように思う。


そしてナチスつながりで思い出されるのが、先月観たドキュメンタリー映画『敵こそ、わが友』。
というわけでつづく。もしくはつづかない。

感想:片腕マシンガール


「『プラネット・テラー』って映画観たことある? 俺っち観てないケド、そんなカンジ」

流行に取り残されてはいけないと思い、ぼくもみんな大好き『片腕マシンガール』を観てみました


行った映画館は名古屋の映画館シネマスコーレ若松孝二がオーナーなことで有名だそうですが、よく知りません
風が吹くときデジタルリマスター版』と同じ日に『スターシップトゥルーパーズ3』を流す、小粋な映画館ですね
ちなみに先週は奥崎謙三がスクリーンの中をところ狭しと暴れていました
2chに「田中角栄を殺す」って書き込んだら、即予告.in行きでしょうか
気になります


それはともかくとして、『片腕マシンガール』です!
どういうストーリかというと、ヤクザの子どもがとてつもないいじめっ子で主人公の弟を殺します
主人公はもう一人の被害者の母親とともに復讐を誓い、血の海と死体の山を築いてゆくのでした 劇終
社会派ですね


でもこの映画のみりきは、そんな社会派だとかそういうところにあるのではありません
そんなのが観たければ、かったるい『推定無罪』とかかったるく観てればいいです
もしくは、最後のアクション抜きの『許されざるもの』
話は変わりますが、次のバットマン映画はイーストウッド主演で『ダークナイト・リターンズ』にしましょう


で、この映画の面白いところを頭ひねって考えてるんですが、もうなにもかもが素晴らしいですね
映画館であんなにゲラゲラ笑ったのはたぶん初めてじゃないかなーと思います
頼むから静かにしてくれ的な雰囲気が結構シネコンとかにはあるんですが、やっぱりそれじゃいけない
あるネゴシエーターも言っています

映画館で腹を抱え笑う人間がいてもいい、自由とはそういうことだ


さて、この映画を観て笑うポイントは人それぞれでしょう
血がシュピパパーと噴き出るシーン
ジャージ忍者が見栄を切るシーン
主人公に殺されたいじめっ子の親が、復讐し返すためにスーパー遺族となって登場するシーン
ヤクザは服部半蔵の末裔だし、ギロチンは空を飛びます
棒読みなのにシリアスな演技も題材に実にマッチしています
そして最後に教訓を残しこの映画は終わります
みんなもイジメに負けない強い心を持とう! でもリアルな殺しはノーグッドね
ぼくはこの教訓シーンで一番笑いました!


トレイラー見れば大体分かるからいいやーとか言ってる人もいますけど、ぼくはそういう人と一緒に映画を観たくないです
食人族ヘビーローテすっぞ、ボケが


非常に頭の悪い映画なので、ぼくも頭を悪くして感想を書くのがよいと思って、そうしてみました おわり

普通に面白かった『四十七人目の男(スティーヴン・ハンター)』と、ヤングチャンピオンの素晴らしさについて

四十七人目の男〈上〉 (扶桑社ミステリー ハ 19-14)

四十七人目の男〈上〉 (扶桑社ミステリー ハ 19-14)

国辱って何? 俺ァ坊ちゃんじゃねえから全然わかんねえ。


スティーヴン・ハンターといえばボブ・リー・スワガーとその父アールの二代記、通称スワガーサーガであり、ボブのほうが『極大射程』『ブラックライト』『狩りのとき』の三部作できれいにオチていたので、もうボブ主人公の本は出ないだろうなーと思っていたところにこれ。「吉良上野介の首を落とした刀が硫黄島の戦いを期にアメリカに渡り、最後の所持者だった旧日本軍将校の息子にボブがその刀を返しに行ったところ、国粋主義ヤクザとの争いに巻き込まれる」という、あらすじだけで日本人がため息をつきそうな話である。
事実はじめて存在を知ったときは「なにこれ?」と言うよりほかなかった。しかし読んでみるとこれが意外にイカしていて、堪能した。
もちろんそこはかとなく間違ってる日本観やおよそ5ページに1つの割合で登場する突っ込みどころは弁護の仕様がない。超武闘派集団「新撰組」のリーダー:自称「近藤勇」とか、そのメンバーに「上泉」「半蔵」などがいる不思議とか、ゴルフクラブ3本でヤクザが自己主張するところとか、AV業界の帝王「ショーグン」が女優に痴女になれと叱咤激励するシーンとか。電車の中で鬼畜ロリエロ漫画を読むサラリーマンはひょっとしたらいるかもしれないけど。自分もヤングチャンピオン普通に読んでるし。ヤンチャンとAV業界で思い出したのがあれだ『18倫』。乙女のAVスタッフ奮闘記という。面白いです。『ウルフガイ』もおおむね原作をなぞりつつエロとバイオレンス五割増しだし、『凍牌』のハッタリぢからは素晴らしい。普通の麻雀漫画ではかませ能力のスーパー記憶力と超洞察力を持った主人公が裏レートで大活躍という。「へえ、竹牌って背中だけじゃなく上下左右も全部模様違うんだ」もはや笑うしかねえ。


ヤングチャンピオンの素晴らしさについては日を改めて語る、もしくは語らないとして、スティーヴン・ハンターの話をする。ここで大切なのは京極堂先生の名言、「狂人には狂人なりの理屈がある」だ。べつにこれはハンター先生が狂っているということではない。作品が外部から見てどうしようもなく狂っているように思えたとしても、作品内部では得てして筋の通っていることがほとんどである、ということだ。事実「ショーグン」がなぜ痴女になれとAV女優を叱咤激励するのか、なぜ彼が赤穂浪士の刀を欲しがるのか、なぜ彼を襲撃するのに都合四十七名が刀を装備するのかは“作品内では”それなりに筋が通っている。大体、正しく日本を描いた海外小説が読みたかったらクーンツの『真夜中への鍵』でも読んでろちう話で、語られる日本が変というのは別にこの際何の問題でもない。


それ以外の違和感、ボブのキャラクターとストーリーが合っていない点や演出の過剰さは、本書がアール・スワガーの三冊と同じノリなことに起因するだろう。ボブ・リーのほうがポリティカル風味正統派アクションだったのに対し、アールを主人公とする三冊『悪徳の都』『もっとも危険な場所』『ハバナの男たち』は歴史を利用した活劇チックなところがある。『悪徳の都』ではバグジー・シーゲルがアールの元部下フレンチー・ショートに暗殺されているし、『ハバナの男たち』で描写されるカストロのヘタレっぷりも同種だ。硫黄島の父親と赤穂浪士を強引に結びつける手法がそれらと同じであり、ボブ三部作のほうではほとんどなかったことである。
またこの三冊と『四十七人目の男』の共通点として、映画を意識していることも挙げられる。演出過剰さはボブ三部作の頃から『極大射程』の法廷シーンや、『狩りのとき』のラストでクレイモアのスイッチを押す場面などで見られた。しかしアール三部作ではより映画的な演出、もったいぶった台詞などが多用されている。例えば西部劇を外挿した『もっとも危険な場所』と本書の類似点を挙げるのはもの凄く簡単で、黒人強制労働施設襲撃に際し「蒼白い馬が来た」、黒幕の屋敷を襲撃するときCIAエージェントがボブに「あなたが四十七人目の男よ」とか言っちゃうセンスが全く。
ちうかボブ三部作が「守る話」でアール三部作が「攻める話」、こっちはどっちかというと「攻める話」だから、そこらへんもキャラクターとしてそぐわなさを感じる点。


大体絶対禁酒してたはずのボブさんが日本酒にコロリと参っちまうのが変な話だよなー。アールの話書きすぎてボブのキャラクター忘れてたんじゃねーかハンター先生。

インクレディブル・ハルク

2003年のアン・リー版『ハルク』の失敗から反省をしたのか、一新してアクション多めなハルク映画のお出ましである。
なんといっても「先週のあらすじ」とばかりに開始五分でガンマ線照射実験と変身を軽くこなし、ブラジルのスラム街へ潜伏してしまうのだからたまらない。余談だが彼の潜伏するスラム街ファヴェーラは『シティ・オブ・ゴッド』の舞台でもあり、積み重なったコンクリ住居を特殊部隊と追いかけっこする様子はエクストリームスポーツパルクールを髣髴とさせる。


またアン・リー版が人間関係にスポットをあて、肝心なハルクのアクションシーンはほとんど軍隊から逃げ回るだけだったのに対し、今作ははじめから余計なものをそぎ落とし緑色のデカイ人が「ハルク怒った!」などと叫びつつ暴れまわるという、何というか非常に潔いつくりになっている。
当たり前だが、人間ドラマがないわけではない。心拍数が上がると変身してしまうため恋人も抱けない体になってしまったのを嘆いたり、その恋人エリザベスとの逃避行であるとか。しかしそれらは「ハルク」というキャラクターを演出するためのドラマである。例えば、潜伏していた主人公が恋人の前に姿を現してからの展開を見れば分かるだろう。恋人は精神科医といい感じになっていて、でも彼が姿を現すや否やあっさりとよりを戻してしまい、精神科医もあっさりと身を引いてしまう。恋人の葛藤や精神科医のキャラクターは全く描写されない。なぜならこの映画で一番重視されているのは、キャラクターとしてのハルクなのである。そしてアクションシーンこそその核となるものだということだ。
そのアクションシーンで敵役として登場するのがロシア生まれの軍人ボルンスキーで、ハルクに圧倒され強さを求めた彼は超人血清とバナーの血液によってアボミネーションへと変身する。コイツが全体的に巨大な魚人のような外見(背骨が盛り上がって背びれみたいになってたり)をしていて、なかなか気持ち悪カッコイイ。このデカイ人二人の乱闘シーンはかなりの迫力だが、彼らがくるくるゲームチックに動き回るさまはどこかおかしみを伴っている。手を打って衝撃波を起こしたり工業用チェーンを鎖分銅にしたり。


アメコミ好きとしては、冒頭でスターク・インダストリーやシールド長官ニック・フューリーの名が出ていること、ストーリーの中で超人兵士計画と超人血清に触れていることにも注目したい。ラストではアイアンマンの中の人も出てきて意味深な台詞を言い出すし、大規模なクロスオーバーがこれから映画館で拝めるんだろう。その際は是非カート・ラッセルあたりにニック・フューリーを演じていただきたいものだ。

『ウォンテッド』原作がかなり出来のいいメタフィクションな件

最近映画館によく行っている。『クローバーフィールド』と『ミスト』をハシゴしたせいで夢に触手が出てきたり、ついに公開されたパワードスーツに興奮してみたり。なかでも面白いのが本編観る前の予告編。変な映画の変さやエモエモしい映画のエモさはすべて予告編で分かると言っても過言ではない。こないだみてステキだなーと思ったのが九月にやるらしい『ウォンテッド』で、これが実に馬鹿馬鹿面白そうな映画。
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ほんでもって原作が実はアメコミというのを知り読んでみたくなったのも、馬が目前の人参を追うがごとく当然の出来事。

Wanted

Wanted


確かに映画化されるのも頷ける魅力的な筋立てだと感じた。だが同時に、これを忠実に映画化するのは、どんな映画監督にも不可能だと確信してしまった。
平凡な会社員がある日謎の美女に出会い、自分の死んだ父親が凄腕の殺し屋だったこと、自分もまた秘密組織の一員として殺し屋にならなければならないことを告げられ、否応無しに状況に巻き込まれていく……。そこは確かに原作も映画も同じだろうが、大きく異なることがひとつあって、それがこの"WANTED"というコミックを類稀なるものにしている。以下スーパーネタバレタイム。

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