『宇宙船レッドドワーフ号』とわたくし

今日は『宇宙船レッドドワーフ号』についてしゃべくろうと思います。

レッドドワーフについて簡単に述べるなら「シチュエーションコメディin宇宙船」。予期せぬ事故で「宇宙船レッドドワーフ」の乗組員が全員死亡した300万年後、懲罰房から解凍された三等技術士リスターを主人公とし、それに加えてホログラムとして再生した喧嘩相手リマー(おでこにホログラムの頭文字Hがついてる)、300万年の間に猫から進化した猫人間キャット(まんまだ)、船のコンピュータであるホリー、途中で拾ったアンドロイドのクライテンを主な登場人物とする。彼らが地球を目指し珍道中を繰り広げたり繰り広げなかったりするのがおもな筋。


今でも覚えてる、ぼくがはじめてみたレッドドワーフは16話『他人の体で暴飲暴食』。そのころぼくはまだ小学生で、NHKによるMr.ビーンの放送を心待ちにする純真な子供であった! Mr.ビーンが終わり、新たな夜更かし材料を求めるぼくのところにやってきたのが――レッドドワーフだったのだ。ぼくは一体『宇宙船レッドドワーフ号』の何に引き付けられたのか? 今となっては定かではない、

しかしこのオープニングは、当時のぼくにとって全く異質なものであった。宇宙服を着た人間がペンキ塗りをする、カメラは引いてそのペンキの字"F"、さらに引いて"RED DWARF"、そして宇宙船の全景を写し出す。広い宇宙にとって人間は全く微々たる存在でしかない、それでも日々の生活と(全く意味のないように思える)仕事を延々と続けていなければならない、その矛盾を示して見せたわずか二十秒! ぼくがSF好きとなったのは小学校の図書館に岩崎書店SFシリーズがあったからでなく、『宇宙船レッドドワーフ号』がオープニングで写し取ったこのパースペクティブとそれが視聴者に突き付けるスペキュレイティブにこそあったといって過言ではないだろう。
とにかくぼくはそれを見た瞬間からレッドドワーフに夢中になった、そしてそのエピソード『他人の体で暴飲暴食』ではキャラクター五人の性格が余すところなく描かれていて、ぼくはまさにレッドドワーフの世界を堪能した。とにかく登場人物みな社会不適合者で、尊大でずぼらで見栄っ張りで頭でっかち、かと思えばやたらに卑屈……カリカチュアライズされてはいるが感情移入を誘うリアルがそこにあった。
それから先のことはとくに言うまでもないだろう。あるいは夜更かし、あるいは予約録画を駆使してエピソードを鑑賞したり(再放送のときも)、友人に貸したテープをなくされてヘコんだり。もちろん、DVD-BOXも昼食を何十回か抜いて買った! 今年のSF大会DAICON7に出席を決意したのも、ひとえに猫人間キャットを演じたダニー・ジョン・ジュールズが来ると聞いたのが一因である。


当日は映画がお蔵入りになったこと、20周年に向けての企画など興味深いことを数々聞いた。日本語の吹き替え(cv:山寺宏一)を聞いて「歌っているのがまるで自分みたいで、いきなり日本語を喋り出したから驚いた」とか。キャットというと山寺宏一ボイスのみならずくるくる踊りまわる姿が心に焼き付いているが、長年の酷使がたたりもう昔のように動けない、と言っていたのも印象深い。
ほかに聞いたのは、現在BBCの子供向けチャンネルCBBCで"M.I.High"というスパイアクション番組(MI5のもじり、たぶん陸軍中野予備校とかそんな感じ)をやっていてQ的な役を演じているとか、あと"Sucker Punch"てクライム系映画(『東京サッカーパンチ』とはたぶん関係ない)に出演したこととか。前者に関しては、NHKはシーパー家だのドギー・ハウザーだのサブリナだのヤングスーパーマンだの昔からやってたしちょっと見てみたい気もする。


というわけで、機会があったのでレッドドワーフについて思い出してみたりした。確かに、ものすごく下らないことは否定できない。下劣なギャグと最低なキャラクター。教訓はあまりないし、あったとしてもブラックユーモアにくるまれすぎて見えなくなっている。しかし、『宇宙船レッドドワーフ号』にはどこか魅力がある。意外にしっかりした(あるいはしていない)SF展開や、ダメ人間たちの織り成すダメな生活、イギリスコメディらしい洒落た言い回し、展開などのどこに魅力を見出すにしろ、一見に値する作品だ。

宇宙船レッド・ドワーフ号 DVD-BOX[日本版]

宇宙船レッド・ドワーフ号 DVD-BOX[日本版]