面白げな新刊

http://dccomics.com/comics/?cm=9774
第二次世界大戦のイフもの。マンハッタン計画の失敗によりアメリカ政府はプロジェクト・オリンポス――日本本土への上陸作戦を実行することになる。
ちょこっと試し読みができるので読んでみたけど、開始五ページで「将軍さん」が切腹、「帯刀」に介錯されてるのがなんとも期待を裏切らない。でも台詞は結構真剣なので期待できそう! そういえばスティーブン・ハンターの新作まだ読んでなかった。
まだリーフが出たばっかのようなので、反応見つつ単行本になったら買うかしよう。

サラエボの花

観てきました。ちょっとこれは感想書くのに時間かかりそうだ。
米沢穂信の『さよなら妖精』と重なるところがいくらかある、というとさすがに我田引水的なところがあるか。具体的な共通点って「真実の秘匿」と「悲劇的な暴露」ぐらいだし。あと「気付いたときにはもう手遅れ」とか。『さよなら妖精』のほうは主人公くんがどうしようもなく疎外されて終わるけど、こっちは一応当事者のフォローあるし。
暇ができたら書きます。

吉里吉里人について

そろそろ吉里吉里人読んどかなくちゃなあ、と思った。


そもそも吉里吉里人なんで知ったかというと国語教師の脱線in中学時代。今でも覚えてるのは「東北の寒村が日本から独立する」「きんかくしに金が隠してある」程度のことだけど。
じゃあなんで今になって読まなくちゃいけないかという。これというのも、最近物語がどうのこうのとややこしいことを文系らしく考えつつ井上ひさしのエッセイなんぞ読んでたらスゲー文章に出会っちまったからだ。

大衆小説の変質は、読者が小説に物語の祖型を求めなくなった途端にはじまったというのが、ぼくの意見です。では読者は物語のかわりに小説に何を求めたのか。情報です。つまり、読者はいつの頃からか物語よりも情報を読みたがりはじめた。(『日本語は七通りの虹の色』より)

なるほどなあ。
そこで「アンタの考える物語の祖型ってなんだい」と刃牙(関係ないが僕はいつも「はきば」と打鍵する)ばりに聞いてみたくなるところだけど、ここはひとつ夜も寝ず昼寝して考えてみたよ。


物語には起承転結が必要、とはいってもそれとこれとは話が別で、祖型祖型祖型……物語にはまず主人公と、その敵がいる。打破すべき悪役だったり、状況だったり。そんでそいつらを打倒したり巻き込んでいったり内に取り込んだりして、さらなる自分の発展を目指したり目指さなかったりという。まさに止揚! それこそがドイツ古典主義の目指した理想ってやつじゃん。俺っち読んだことないけど、だいたいそんな感じ。
ともかくだ、思いを異にする価値観が主人公に立ちはだかる。異なる世界観が、と言ってもいい。そして主人公が内的葛藤やらコンフリクトを経、ハッピーになったりあるいは死んだりする。それこそが物語の祖型でありストーリーだよね、という。OK理解した。
じゃあ前述の文はアレだ。「価値観の衝突による内的葛藤が許されるのは前近代までだよねー」「キャハハハハ」「キモーイ」ということか。なら問題になるのは、なぜそれらが必要とされなくなっただ。


価値観の衝突ちうても小さなレベルの衝突ならそこにドラマは生まれないわけで、例えば「鳥の唐揚げにレモンかける派とかけない派の間で起こった全局面的闘争」なんて読みたいとか思うかなあ? 個人的には非常に読みたいところだけど、でもやはりドラマが湧き起こるのは大きなレベルでの価値観の衝突だろうとも思う。例えばヴィルヘルム・テルゲスラーをブチ殺すのは決して腹いせではなく父が子に弓を向けたという不合理を解消するためだし、ハムレットの人が叔父を殺すのも単純な復讐じゃなくて王権神授説の名の下に神にかわってお仕置き、もとい神の代わりに断罪するっていう話じゃん。個人の葛藤の末に下された決定がより大きなレベルへと伝播していくという。
でも現代はそんなこと言っても誰も気にしやしねー。一人一人が日々の生活をニコニコやってるだけで完結してしまうのだし、売れてる本も「犬が死んで悲しい」とか「恋人が死んで悲しい」とかの類。だいたい現実見たって個人が大きなレベルへコミットしていける方法? それこそテロルか戦争かアクメツぐらいしかないじゃない。まあそれでもリアリティがないにもほどがあるけど。


じゃあ『吉里吉里人』はどうなるの、というのがやっとの本題です。物語の祖型は価値観の衝突や軋轢にあったが、現代はそもそも日々の生活が強力すぎて、大きなレベルでの話というのは後景はるかかなたに追いやられてしまう。あくまで現代性と日常との距離感を失わずに、それへコミットしていく方法は何かあるか。その問いへの答えが「独立」だったのでしょう。
井上ひさしはきっとこんなことを考えてたに違いないね。

「俺が小説に『物語の祖型』という牙を取り戻したんだ」
「沙翁のように、と言ってもらいたいね」


というわけで、井上ひさしジャック・ハンマーであることが分かったので「吉里吉里人読まなきゃなー」と思いつつ図書館行ったんですが、着いたころにはさっぱり忘れてて北村薫の円紫師匠ものばっか借りてました。再来週に延期だ。

サークルの経営について、アドバイスと覚書

いよいよ各大学も二次試験がたけなわになってきました。ちょっとまだ入学式には早いですが、今頑張り中の、そしてもう頑張り終わった皆さんに大学生活における、その何だ。アドバイス的な何かを捧げたいと思います。
とはいっても僕が伝えられるのは、それなりに面白い講義をしてくれる先生、生協の賢い使い方、学内でぐっすり寝られるポイント、大学近くのうまい中華料理店、最寄りの酒屋、床から天井まで本がみつしり詰まった古本屋……それぐらいの、言ってしまえば誰でも知っている情報がせいぜいのことです。それにもちろん、大学が違えば全く役に立ちません。これでは皆さんに喜ばれるアドバイスとはならないでしょう。
喜ばれるアドバイスとは、レポートの上手い書き方、恋人の作り方、ぼっちにならない方法など、一般的で皆の求めるものです。けれども僕はそれらの情報を提供することができません。なぜなら、知らないからです。自分の知らないことを他人に伝えることは、どうあがいても、無理です。


というわけで、僕は僕の知っていることをできるだけ一般化して伝えたいと思います。勉強にも色事にも現を抜かさず、ただ本とサークルのことだけ考えていた僕が知っているのは、ローカルな情報を除けば、サークル経営についてのアドバイスだけです。

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ハートシェイプト・ボックス(ジョー・ヒル)

ハートシェイプト・ボックス〔小学館文庫〕

ハートシェイプト・ボックス〔小学館文庫〕

さてこの本について語るべきことはたくさんあるような気がする。タイトルがニルヴァーナの名曲から取られているとか、そもそもロックネタが異様に多いとか、作者はスティーブン・キングの息子であるとか、そこで出てくる父との類似点・相違点とか、冒頭の引用がアラン・ムーアの小説からだとか。

もちろんそれは枝葉末節で本筋に比べればどうでもいいことだ。これは再生の物語である。幽霊に取り憑かれた自堕落な元ロック・スターが、逃避行と解決策探しをするにつれ救済されていく。ホラー小説であるが、父の書いたような(できれば比較はしたくないのだけれど)モダンな恐怖かというとどうもそうではない。ゴア表現やいわゆる論理的な幽霊撃退法とはほとんど無縁である(といっても、幽霊を追い払うのに使った策として「新曲のメロディのことを考える」というのがあり、クーンツの『ウィンター・ムーン』やフリッツ・ライバーの「歴戦の勇士」を思い出したが、あそこまでしつこくはない)。しかし登場する幽霊古臭いな。レファニュあたりに出てきてもおかしくないぐらいだ。


枝葉の方だって気になるのが人情というものなのでキングの話も少し。
いやーこないだ『回想のビュイック8』読んだんだけど、何あれ。みんな「どっちかというとグリーン・マイル系」とか言ってるけどまるっきり『トミー・ノッカーズ』じゃん。というかむしろトミー以下略からカタルシスと変態さを抜き出した感じ、ってそれ何が残ってるんだよ。あと『ドリームキャッチャー』も『IT』と『トミーノッカーズ』足して5で割った感じだよね。それはともかくとして無理やり『ハートシェイプト・ボックス』に似たキング作品を挙げるとするなら、『IT』『ローズ・マダー』「道路ウイルスは北へ向かう」。どちらかというと999収録の「妖女たち」(エリック・ヴァン・ラストベーダー)とかに近いような気もする。


なんか物凄く忙しくなる予感がする。前門のシュウカツ、後門のソツロンっていう。

オタクの向学心とか、そういうことについて。

なんか最近オタク(もしくはそう呼ばれてるもの)に向学心ライクな何かがないって話がたまにあるじゃん。具体的には元ネタ探索をしないとか作家読みをしないとか。まー確かにそれはまわり見て同じこと思うよ。けどそれは情報を取捨選択しきった上でそういうことを行なわないというだけなので、外野がとやかく言うべきことではないのかもしれない。
思い起こすに僕もいろいろ失敗したさ。「桜庭(not和志/もちろん検索・キーワードよけ/スプライトよりオイレンのほうが面白いよね)好っきー」とかゆってる子にティプトリー勧めたさ、そしたらその子は桜庭じゃなくてGosickが好きなだけだったんだ!じゃあGosickが好きな子はミステリ読めばいいんじゃないのと思って適当になんか渡したらそもそもGosickはミステリじゃなくてツンデレ鑑賞ノベルだったんだ!それから「作家自体に興味を抱くなんて分からない」なんて当時の僕にはショッキングすぎる一言を聞いたこともあった!
けれど読む本読む漫画やるゲーム見るサイトが多すぎる、どう考えても多すぎるこんな世の中じゃポイズンもとい元ネタ探索だの作家読みだのしてるだけで時間が食われ、読みたい本読みたい漫画やりたいゲーム見たいサイトに時間を割けなくなってしまうし、もちろん定時スレにも間に合わない。だったらとにかく自分の読みたいものだけは読む、というのはもちろんアリじゃん。分かる。それでもなおやはり読んで欲しい本はあるけど。


つまり簡略化すると、はじめの面白さが40で元ネタ知れば60楽しめる本があったとして、回り道をして一冊で60楽しむか(元ネタの本の面白さは別で)、40をもう一冊読んで合計80楽しむかの違い。僕は回り道をするけど、かといって後者の人を貶める気にはならない。その人が元ネタの本読んで20の面白さを感じられなければ量的に損だからね。けど一緒に本の話して楽しいのは元ネタとかきちんと知ってるほうだし、読書が趣味です!とか言うなら趣味のことぐらいちゃんと語れろよ*1と思うので、その何だ。娯楽小説読むにしても発展性のある読書を心がけたら良いと思います。自戒も込めて。

*1:「趣味は読書」という言葉は多分安易に使われすぎている。このことに関しては期を改め