僕らのミライへ逆回転

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あらすじ:さびれた町パセーイクのビデオ屋店員ジェリーとその悪友マイク。ある日マイクが発電所の電気を浴びて磁気人間になり、店のビデオテープがすべて消去されてしまう。折も折、常連のおばちゃんが『ゴースト・バスターズ』をリクエストしに来た。恥を忍んで競合店に行くも、既にビデオなんてDVDに切り替わってる。困った二人が思いついたのは、カメラ片手に自分たちでそれを再現することだった……


まートレーラー見りゃ大体分かるってのはその通りで、DIYリメイクが人気を博す→町の住人も巻き込んでいろいろリメイクする→「ハリウッドのものですが」っていう。しかしトレーラーでは分からないものもあるので、二重ハイフンを四つ並べてネタバレ回避。

トレーラーにないものとして、本筋と交互に挟まれる(舞台となるパセーイクで生まれた)ジャズピアニスト、ファッツ・ウォーラーの伝記映画がある。ちなみに彼がパセーイク生まれというのは、ビデオ店オーナーが幼いころのジェリーに吹いた嘘だ。けれど伝記映画はその嘘のままに進行していくわけ。老人が彼の思い出を語って、若者が彼を演じて。そうでなくてもなぜこんな映像がという気になるんだけど、リメイクを禁止された住人たちが自分たちの映画を作ろうと言い出したとき、まるで歯車がガチリとかみ合ったような気になった。つまりこのファッツ・ウォーラーの伝記映画は、リメイクではなく住人たち自身の映画だったということである。

そしてこのリメイク/自分たちの映画という構造がなかなか面白い。通常の価値観では、これは偽物/本物という対比になる。だってリメイクつったってDIYモノリスは冷蔵庫でマシュマロマンはマシュマロなんだから。それに忘れちゃいけないことに非公認だし。けれどこの「自分たちの映画」がなかなか曲者で、リメイクで培ったDIYの技術をいかんなく活用(カメラの前で換気扇回してヒモたらせば、昔の映像っぽくなる! とか)しているのはともかく、そもそも題材の前提が間違ってる。すでに事実を大胆に脚色とかそういうレベルではない。そういう観点からすれば、この「自分たちの映画」だってフェイク以外のなにものでもない。
けれど、だ。そもそも面白い、楽しいという尺度からこの二つを測ったとき、どうなるだろうか? 少なくとも作中で表現された限りでは、その点で両者はともに「本物」である。見た目が偽物であっても良いものはある、そして良いものは決して死なないというのがメッセージであろう。ショーシャンクはリメイクされてなかったと思うけど、そのメッセージしかと受け取った。

それから結構突っ込まれている問題として、いろいろほったらかしてるってのがある。たとえば、話の流れ的にマイクが感電して磁気を帯びる必然性が全くないところ。「UFOに誘拐されたせいで」とかでも特に問題ないし、極端にいえば「拾ったネオジム磁石ビデオ屋に持ってきてしまった」でOK。ストリートギャングたちに言った「これはスウェーデン製のリメイク」というその場しのぎは本当にその場しのぎで、ギャングたちも普通に撮影に参加してるし。ハリウッドの人たちだって、リメイクビデオをロードローラーで轢き潰してからは全然出てこない。けれど話を考えてみたとき、これら「印象的なシーンをつくるためだけの展開」に、なぜか納得してしまった。なぜって、主人公たちの作ったリメイクビデオは現物と比べると極端に短くて、そこに記憶に残る場面の再現がみっちり(おそらく多少の整合性は無視されて)詰まっている。だったらそれをテーマにしたこの映画だって、多少の整合性を犠牲にして印象的なシーンを入れたって問題はない、多分。大体もしこの映画を自分がDIYリメイクするとしたら、万難を排してさっき挙げたシーンたちは再現していきたいと思うし、だからこれはこれでいいんだろう。


あとはアルマ役のメロニー・ディアスがかわえくて、いろいろもてあました。