オタクの向学心とか、そういうことについて。

なんか最近オタク(もしくはそう呼ばれてるもの)に向学心ライクな何かがないって話がたまにあるじゃん。具体的には元ネタ探索をしないとか作家読みをしないとか。まー確かにそれはまわり見て同じこと思うよ。けどそれは情報を取捨選択しきった上でそういうことを行なわないというだけなので、外野がとやかく言うべきことではないのかもしれない。
思い起こすに僕もいろいろ失敗したさ。「桜庭(not和志/もちろん検索・キーワードよけ/スプライトよりオイレンのほうが面白いよね)好っきー」とかゆってる子にティプトリー勧めたさ、そしたらその子は桜庭じゃなくてGosickが好きなだけだったんだ!じゃあGosickが好きな子はミステリ読めばいいんじゃないのと思って適当になんか渡したらそもそもGosickはミステリじゃなくてツンデレ鑑賞ノベルだったんだ!それから「作家自体に興味を抱くなんて分からない」なんて当時の僕にはショッキングすぎる一言を聞いたこともあった!
けれど読む本読む漫画やるゲーム見るサイトが多すぎる、どう考えても多すぎるこんな世の中じゃポイズンもとい元ネタ探索だの作家読みだのしてるだけで時間が食われ、読みたい本読みたい漫画やりたいゲーム見たいサイトに時間を割けなくなってしまうし、もちろん定時スレにも間に合わない。だったらとにかく自分の読みたいものだけは読む、というのはもちろんアリじゃん。分かる。それでもなおやはり読んで欲しい本はあるけど。


つまり簡略化すると、はじめの面白さが40で元ネタ知れば60楽しめる本があったとして、回り道をして一冊で60楽しむか(元ネタの本の面白さは別で)、40をもう一冊読んで合計80楽しむかの違い。僕は回り道をするけど、かといって後者の人を貶める気にはならない。その人が元ネタの本読んで20の面白さを感じられなければ量的に損だからね。けど一緒に本の話して楽しいのは元ネタとかきちんと知ってるほうだし、読書が趣味です!とか言うなら趣味のことぐらいちゃんと語れろよ*1と思うので、その何だ。娯楽小説読むにしても発展性のある読書を心がけたら良いと思います。自戒も込めて。

*1:「趣味は読書」という言葉は多分安易に使われすぎている。このことに関しては期を改め