本を読むということ

いろんな人とガーッと喋ったりしている間になんとなく気がついたことがあって、本当はそこまでにいたった経路をまとめたり論証したりが必要なんだろうけど、文を書くのは苦手なので(ここも放置しがちだし)気付いたそのことを先に書いてしまうことにする。
「『本を読むのが好き』という人は多いけど、その多くが『自分の好きな本を読むのが好き』なんでしかない」。

「趣味は読書です! ドストエフスキーを愛してます!」

さてそんなハトよめの台詞はともかく、例えば自己紹介で読書を趣味と言う人は少なからずいる。けれど、そもそも趣味ってなんだろう、好きってなんなんだろう。そういうことを考えたとき、「きみの趣味が読書って、なんかの冗談?」みたいに煽りたくなる奴ら、趣味ってのはそういうレベルのもんじゃないだろと張り倒したくなる自称本好きが多すぎる。
そもそも趣味っつーぐらいだからある程度の熱意はあっていてほしい。読書が趣味というのなら、自分の好きな一冊について熱く語るとか、ジャンルに賭ける熱い思いとか、この作家がスゲエとか、そういうのをぜひ聞きたい、自分の読書もより豊かにするために。……というのに彼ら、似非本好きどもときたらお勧めの本聞いてもお勧めの作家聞いても一時停止ボタン押したみてえに動きやしねえ! なんなんだあいつら、心臓もいっしょに停止してんのか!?
……つーと「それは好きな本や作家が多くて止まってるだけじゃないかなー」みたいなことを諸兄ら思うんだろうけど、そんなん甘いよ甘いペプシNEXよりも。現に妥協して最近読んだ面白かった本をなんとか聞き出して、元ネタ的な本やら同じようなタイプの本勧めてもちっとも読みやしないし、目の前に並べても取ろうとさえしない。要は「本が好き」「趣味は読書」とか言ってるわりには、好きなはずのそれに興味も好奇心も示さず、趣味なはずのそれを発展させる気もない。おかしくねえか、趣味ってそんなもんなのか? んでもってなんか面白い本ありますかとか聞いてくるから、今まで読んだので面白かったのとか聞いたうえでなんか貸すじゃん。3日で返してくるからもう読んだのかと思って話聞くとどうやらそうじゃないらしい、読む時間がなくて……とか、ちょっと読んだけど合わなくて……とか言いやがる。挙句の果てには「やっぱり『(今読んでる本の書名)』が最高ですよ!」などと仰る。はあそうですか、だよ。それでその本のどこが好きかとか聞くと、やっぱりまた停止しちまう。おいおいおい本いっぱい読んでて言葉もたくさん知ってんだろ? なのになんで何も言えねーんだよ、いったいおれにどうしろってんだ。


さて読書サークル的なところでそんなことが何回もあっておれが完璧に理解したのは、「読書が趣味」とか「本が好き」とか言ってるやつの多くは、その実「本が好き」なのでも「読書を趣味としている」わけでもないということだ。そいつらは「自分の好きな本だけが好き」なのであり、「趣味となるような何かがなかったからただ本を読んでいただけで、別にそれが趣味になったわけでもない」。
そんなやつらがのさばっているおかげで、「履歴書の趣味の欄に読書と書いてあったら即落としますよ(笑)」などとのたまうワンマン社長も出てくるし、おれも「趣味は読書ですねー」なんて自己紹介を聞いた途端に瞬間湯沸かし器。

本を読むということについて

「クソどもが、あいつら自称本好きのくせに自分の好きな本しか読みやがらねえ」的なことを延々と書いた。しかし「自分の好きな本を読むのが好き」というのは、恐らく多かれ少なかれ皆がそうだろう。自分にもその傾向はある。自称本好きと真の本好きには、好きな本一冊をより面白く読む努力をするか、そして好きになれる本を探す努力をするか程度の違いしかないのかもしれない。
というわけでこれからも真の本好きになるため努力していこうと思います。あけましておめでとうございました。