プレステージ

クリストファー・プリーストの『奇術師』が原作。
かつてイギリスSF界で起こったアイデア派SF作家とストーリー派SF作家の論争において、プリーストはストーリー派の舌鋒として活躍した。しかしながら両派の作品を並べたときに、「こいつらって根っこは同じだよなあ」と感想を抱くのは決して僕だけではないだろう。かたやカタストロフィの起こった地球でまだ細々と続く世界SF大会を描写したイアン・ワトスン。かたやレールの上に乗っけた都市をころころと果てしなく転がしていくさまを描いたクリストファー・プリースト。お前ら全員バカじゃねーか。

プリーストが真面目な皮をかぶった馬鹿であると言う話はおいといて、『プレステージ』の話をする。

プレステージ』は“騙し”の映画である。つまり昨今流行っている「あなたは絶対騙される!」式の、どんでん返しを主眼に置いているタイプの作品である。だが『プレステージ』にはそれだけではない魅力がある。以下それを挙げてみようと思う。

マジックをテーマにしているということ

マジックとは何か。マジックの観客は何を求めそれを見に来るのか。
二つの問いに答えるのがラストシーンにおける二人の奇術師の会話である。これは是非実物で確認してもらいたいので(だいいちうろ覚えだし)ここでは述べないが、要約するなら「マジックは騙しであり、観客たちはこの世に不思議なことなど何もないと知っている。しかしそれを信じたくないがゆえにこそ、彼らはわざわざ騙されに来るのだ」ということが言われる。
マジック、つまり奇術がエンターテインメントとしての騙しであることとわざわざそれを見に足を運ぶ観客の存在、そして観客を騙す映画『プレステージ』とそれをわざわざ金払って観に来ている観客の僕たちがここで対比される(二人の正反対の奇術師のように)。傑作コン・ゲーム(詐欺)映画『スティング』でのどんでん返しと比べてみるのも面白いだろう。
他にも奇術テーマの映画らしくさまざまな奇術っぽさが存在する。奇術にミスディレクションがあるように、この作品も観客の予想を事実とは別の方向に向け、彼らを裏切り続ける。この種の映画に耐性のついている観客ほどそれは顕著だろう。

フェアであるということ

SF作家アイザック・アシモフは、自選短編集『アシモフのミステリ世界』の序文でこう述べている。

彼ら(ミステリ作家たち)は、読者に対してフェアであれというルールにはあくまで忠実だ。――つまり、手がかりを隠してもいいが、省略してはいけない。推理の基本的な道筋をさりげなくほのめかしてもいいが、それでおしまいにしてはいけない。読者の鼻面をつかんで、読者の推理を間違った方向に引っ張っていってもいいし、迷わせてもいいけど、だましてはいけない、といったルールのことだ。
同じことがSFミステリの場合にも当てはまるのは当然だろう。新発明の仕掛けをひょいと取り出して、それで謎を解いてはいけないし、特別の現象を説明するのに未来史を利用してはならない。読者にも解決部分が見通せるよう、部隊となる未来はあらゆる面から注意深く充分に説明されなければならない。小説の中の探偵に使えるのは、現代の読者が知っている事実、あるいは、前もって慎重に説明されている、小説中の未来での“事実”だけに限られる。

完璧にフェアなのがこの映画である。確かにミスディレクションはあるが、ヒントだってちゃんと存在している。思い返すに少々量が多すぎたのではないかと心配になるぐらいである。注意して見ていれば必ず真実は分かる。注意して見ていなくてもラストには分かる。落ちがしょうもないと言って怒る人もひょっとしたらいるかもしれない。だが覚えていて欲しい、手品のネタなんて案外そんなものなのだ。

原作があることと、映画化にあたってそれにかなり手を入れている点

このタイプの映画には、原作つきのものが極端に少ない。理由は考えなくても分かることだが、観客を騙しラストであっと驚かせるためには、原作の存在はむしろ足かせとなるからである。
しかし『奇術師』既読者には既に落ちがバレバレなのにもかかわらず、ノーラン監督はそれを『プレステージ』として映画化した。それは前述したようにメタ的な騙し映画を撮れることと原作の筋とが、観ずとも落ちが分かってしまうという欠点以上に抗しがたい魅力だったからであろう。
そして原作のストーリーは映画化においてかなり手が加えられている。例えば現代編をばっさりカットした点や、二人の奇術師を旧友という設定にした点が挙げられるだろう。他にもいろいろな改変により、狙いが「観客を騙す」という一点に絞られてものすごくシャープになったという感触を受ける。
また前述した騙しのメタ構造だが、原作においてはそれがメタ的ではない。つまり映画『プレステージ』とは異なり小説『奇術師』では奇術の観客と小説の読者を対比するような試みは表面的にはなされていないということである。
「あなたは絶対騙される!」式の映画が大量に氾濫する映画業界に、『メメント』の監督であるクリストファー・ノーランが「合法的な騙し」である奇術をテーマにした「騙し映画」を作る……。映画なればこそである。

というわけで『プレステージ』は映画館で見なければ意味が半減するということが分かったので、また観にいこうと思う。同じマジックを続けてやってはいけないというのはマジシャンの常識らしいが、映画の場合はそうでもないので、観客にとっては嬉しいことである。


あと今日は雨が降ってたので『ザ・シューター』観にいきませんでした。明日観にいきます。