300

まず、この映画に対しアメリカンなマッチョイズムを云々という言説を弄することが無意味。だって登場人物のほとんどが腹筋の割れた半裸マッチョだから、マッチョイズムだとか脳筋だとかむしろ当たり前のことである。ビジュアル化された300の割れた腹筋の前にはどんな言葉も無意味だし、つまり内容も合わせ二重に暴力的な映画といえる。
文句があるとすれば王妃パートの存在だろうか。原作至上主義者ではないけれども、あえて原作にないパートを入れたことに意味があったかははなはだ疑問である。だいいち観客(少なくとも僕)は筋肉と筋肉のぶつかり合いを見に来ているのであり、決して銃後を守る王妃とその貞操を狙う議員との昼メロ展開を見に来たわけではない。それからもうひとつは、スパルタが民主主義の守護者と自称していることである(といってもこれは思想的な問題ではなく、それによりどうしても矛盾を生じてしまう原作の大好きなシーンが省かれていたからなのだが)。
あと映像美が素晴らしい。ざっと思い出してみただけでも、

  • 井戸に突き落とされたペルシャ人が手足を振り回し落ちていくシーン
  • 崖から突き落とされたペルシャ軍がくるくる回りながら落ちていくシーン
  • 斬られたペルシャの将軍の首がくるくる回りながら吹っ飛んでいくシーン
  • 崖から突き落とされたゾウが悲痛な鳴き声とともにくるくる(ry

などなど。
個人的な見どころとしては

  • 神託の巫女の裸踊りなどよく分からないお色気シーン
  • 最初の戦闘が超作業ゲー(敵が押し寄せる→負けじと押す→もっと押す→槍で突く→盾で殴る→剣で斬る→敵が死ぬ→また敵が押し寄せる→以下無限ループ)
  • ぺるしゃぐんは サイを くりだした!→1ターンで撃破 の流れ
  • ぺるしゃぐんは ゾウを くりだした!→1ターンで撃破 の流れ
  • 「さあ来いレオニダス!実は俺たちは一回刺されただけで死ぬぞ!」→不死部隊は本当に不死なのか試したけど、実はそんなことなかったぜ!

などが とてもおもしろいと おもいました。

それからスパルタ人が混戦時に槍や剣よりも盾を武器としていたのが面白い。ものすごい勢いで盾アタック→ものすごい勢いで相手転ぶ→あとは後ろの戦友に任せる、というシーンが何度も流れるのできっと意味があると思うのだが、ここで監督が表現したかったのは洗練されたスパルタの集団戦闘だけではなく、多分レオニダスが何度も言ったところの「戦友への信頼と尊重」なのだろう。
つーことでザック・スナイダー監督はきっと素晴らしいロールシャッハを造型してくれることだろうし、是非とも頑張ってウォッチメン映画作っていただきたい。

あーあとプレステージも見たけどそれはまた別の機会に。
ザ・シューターも多分日曜あたり観にいきます。