片腕カンフー対空飛ぶギロチン

あらすじ:弟子たちを「片腕ドラゴン」にぶっ殺されて大激怒、屋根を突き破るほどの大ジャンプを見せたギロチン使いで盲目のお爺ちゃん「封神」と片腕ドラゴンの激闘を軸に、武道大会に現れたムエタイの人やダルシム、あと侍との死闘を描いたり描かなかったりするカンフー映画の怪作。そんなジミー・ウォング監督・主演作品。ちなみに斬るビルvol.1でタラちゃんにオマージュされた。
ジミー先生の作品見るのはこれが二個目。前に見たのも「復讐しにくる超強い敵を主人公が迎え討ちにする」という構造的には全く同じものだったので、既視感を免れない。別にいいけど。

ギロチン

最初にこの作品の裏主人公であるギロチンについて述べなければならないだろう。基本形状は鎖つき中国帽(http://www.gore-hound.de/faces_of_fear/master_of_the_flying_guillotine.htm)。普段は折りたたみ傘のようにたたまれているが、開くと内外に刃が露わになる。そこで投擲し敵の頭にはめ、手に持った鎖で引っ張ることにより敵の首を落とすことができるという代物。ズギュンズギュンと音を立てて飛んでいくさまはカッコいいぞ!

封神

そのギロチンの使い手であり、復讐鬼として「手段をまったく選ばない」封神のキャラがなんとも物凄い。片腕という情報しか持っていない彼は、誤爆をまったく考慮しない。酒場にいた片腕の食い逃げ犯の首を斬り彼は言い放つ。

人違いか……まあいい、片腕は皆殺しだ!

そして彼は武道大会で「片腕蛇拳」の使い手に遭遇し、その首もギロチンで落とす。しかしこれもまた人違いであり、主催者に詰め寄られた彼は唐突に逆切れを起こす。問答無用で主催者を殺し、駆け寄ってきたその娘を傷つけ、会場に火をつけ大会をめちゃくちゃにして去っていく。とても老人には見えないバイタリティ、エキセントリックさである。ジジイ自重しろ。

片腕ドラゴン

ではジミー先生演じるところの片腕ドラゴンはどうなのかというと、これもまたどこか胡散臭さが付きまとう。最初の道場での稽古シーンからして胡散臭い。「今日は身を軽くする方法を教える」と言いつつ竹かごの縁をスタスタ歩くまではいい。その次にいきなり

次は壁歩きだ。ついてきなさい

とか言い出すの。俺はもうついていけません。平然と天井も歩いてるし、いやあカンフーってすごいなあ。
それはまあ許容できなくもない。問題は(というか観賞ポイントは)主人公があまりに主人公離れしてること。武道大会の見学中、無刀流の侍がトンファーに仕込んだ刃で敵を刺すのを見ていわく、

何が無刀流だ!刃を仕込んでいた
……今度取り入れてみよう

ムエタイの人と戦ったときもひどすぎる。床が鉄板の小屋におびき寄せ、弟子に命じ床下に火をつけさせる。裸足のムエタイはとても戦うどころではなく、窓から逃げようにも弟子達が槍を突き出すものだからあえなく焦げ死んでしまいました、という。水がめに足を浸しつつ片腕ドラゴンは言う。

ふう、火傷するかと思った

「火傷するかと思った」って。人一人死んでるんだぞ!基本的に彼が武道家らしく振舞っているシーンは少なく、ダルシム関羽の掛け軸を燃やされブチ切れるところぐらいしか思い出せない。
だが最後の封神との死闘では外道さは影を潜め(せいぜい斧の刃を飛ばしまくる程度)、封神が吹っ飛ばされるシーンは潔く好感が持てる。ライブアライブ功夫編、オディワン・リーが吹っ飛ばされて銅鑼にぶち当たり良い音を立てるラストを超えたといっても過言ではないだろう。


さてそんな外道主人公を作って自ら演じたジミー先生だが、コメンタリで「うん、やっぱり勧善懲悪こそ物語の基本だよね!」とかものすごくいい笑顔で言ってんの。勧善懲悪て。