デス―ハイ・コスト・オブ・リビング(ニール・ゲイマン、クリス・バチャロ)

さて。結局僕はワールドコンに行くだろう、ゴチャゴチャ言ったこととは関係なく。GRRマーティンもワトスンも来ないワールドコンの果たしてどこに魅力があるのか。それはひとえにニール・ゲイマンが来る!という点による。
そんなわけで、彼原作の傑作コミック『デス―ハイ・コスト・オブ・リビング』を紹介する。
本書は擬人化された概念「エンドレス」たちの一員である「デス」の物語である(ちなみに「デス」で「死」と「死神」のダブルミーニングとなっている)。ニール・ゲイマンによる紹介文はこうだ。

1世紀に一度、デスは死ぬべき運命の体を得る。
それは己が命を奪う諸々の者の感じることをより理解するためであり、そして生と死というものの苦しみを知るためである。
それこそがあらゆる生者を去りし者と来る者とに分ける代償なのだ。

そして本書は、生に飽き死を願う少年の物語でもある。物語冒頭、彼は遺書を書く。

僕の名前はセックストン・ファーニバル
この名前にもいい加減慣れた
これは遺書だ

理由は何もかも無意味だからだ
いままでずっと考えてきたけどそう思う

……

だって世の中何にも意味がないんだ
それなら死んだって同じだ
どうせ誰かが気にするわけでもない

なんという高二病……実に親近感が沸く。
けれど少年は一日の生を謳歌する死神と出会い、彼女に引きずりまわされるうちに自分の考えを修正することになる。そのさまはユーモラスでスリリング、別れは物悲しく切ない。
この作品の素晴らしさは、現代ファンタジーでありながらボーイ・ミーツ・ガールものとしても良くできていること、生と死のコントラスト、少年の心が変わっていくさま、単純にデスの可愛らしさなど多岐にわたり、それを全て関連付けて述べるには今の僕の状態では不可能である。

またクリス・バチャロの画に言及しないわけにもいかないだろう。「ジェネレーションX」のころと比べ描き込みの密度は下がっているようにも見える(塗りの影響もあるだろう)が、それがまた彼の画独特の寂寥感を増し、さらには作品のリアリティを感じさせる大きな要因となっている。日本人がアメコミを読むときのハードルとして、まず「絵に慣れない」というのがあるそうだが、本書での彼の画は非常に読みやすいものであり、コミック入門としても十分おすすめできる。
連日徹夜でヘロヘロのため、概観と宣伝だけになってしまった。ここらへんでお暇。
今から『片腕カンフーVS空飛ぶギロチン』観ます。わくわく。